何故、飛ばした?映画版『BIG FISH』のあの場面。
今晩は、壽々(じゅじゅ)です。
宝塚版の『BIG FISH』と映画版『BIG F
ISH』とでは大きく違う所があるという
のは、先回の記事↓に書いた通りです。
それは、住民が靴を履かずに裸足で幸せ
そうに暮らす「スペクター」という町を
エドワードが訪れるというエピソードを
素っ飛ばしたということです。
そのために、エドワードとカールは、ト
ルネードに巻き込まれ、直接、サーカス
団のテントに辿り着くという話にしてし
まいました。
そして、エドワードが救うのも、生まれ
故郷のアシュトンではなく、このスペク
ターです。
原作は、英語版しかないので、読むつも
りはありませんが、書評を読むと、この
スペクターという町は、原作には出て来
るようです。
星組公演は、休憩時間を除いて、2時間
30分。そして、ティム・バートンの映画
は、2時間5分です。
歌とダンスを除いても、このエピソード
は十分入るだろうと思うのですが。
星組公演は、DVDも出せないほどですか
ら、ブロードウェイ版には、かなり忠実
だろうと思われます。
したがって、ブロードウェイで上演する
にあたって、省略したのだと思われます
が、ミュージカルの舞台にするのが難し
かったからでしょうか?
それとも、余り、面白くないエピソード
だから省いてしまったとか?
ところで、この作品は原作の副題にある
ように、「父と息子のものがたり」です。
父親が息子に語って聞かせるいわゆる御
伽噺です。
母親が娘に語って聞かせるなら、シンデ
レラや白雪姫などのプリンセス物語でし
ょう。
それこそ、「一介のアラバマの父親」が
語るのですから、冒険譚になるのだと思
います。
「トールテール」と言うのだそうですが、
いかにもアメリカ南部らしい物語です。
基本的に、息子であるウィルの視点から
の父親であるエドワードのホラ話が描か
れているようです。
したがって、ウィルの成長譚でもあり、
父親のホラ話に対する反発、そして、自
分自身が父親になってからの自分の父親
との和解、そして、自分の息子への受け
継ぎ。
まさしく、アメリカ文学らしい「男の物
語」です。
それを、何で、観客のほとんどが女性で
ある宝塚で上演しようと思ったのかは?
ですね。
特に、生まれてくる子が男の子だと分か
って喜ぶウィルとジョセフィーンの姿は、
これが「男の物語」だとすると理解でき
るのですが、もし、女の子だったら、が
っかりするのでしょうか?