やっぱり、事実を確認してからコメントすべきだね。ーパリ五輪開会式ショー演出問題。
今晩は、壽々(じゅじゅ)です。
前回の記事↓のパリ五輪の開会式のショー
の演出問題。
どちらかと言うと、マリー・アントワネ
ットの生首よりも、レオナルド・ダ・ヴ
ィンチの「最後の晩餐」の構図をドラァ
グクイーンらが再現したかのような演出
の方が、「一部のカトリック系団体や仏
国内のキリスト教会司教らから「キリス
ト教を嘲笑する場面」があったとの批判
が出ていた」とのことですが、これに対
して、演出家トマ・ジョリー氏は、「オ
リンポスの神々につながる、多神教の一
大パーティーを開くというアイデアだっ
た」と説明したそうです。
つまり、「最後の晩餐」でイエス・キリ
ストの居る場所に居たのは、ギリシャ神
話の酒の神「ディオニュソス」であり、
「ディオニュソス」は、セーヌ川の女神
セクアナの父であるとのこと。
とんだ、勘違いだったということです。
確かに、その映像を見た時には、「最後
の晩餐」にしては、構図が変だなとは思
いました。
ところが、この件に関して、某国際政治
学者が、自身のX(旧ツイッター)で、
「近年のアートの目的に十分適っている」
「パリ五輪の開会式演出が瀆神的だと騒
がれているが、キリスト教以前は多神だ
ったし性的欲望も昔から多様だったんだ
ぞという表現にすぎない」
「反発も相当強いのをみると、常識人に
offend(怒らせる、不快感を与える、ル
ールを破る)するという近年のアートの
目的に十分適っている。まだ1世紀くら
いはアートはカソリックに反抗しつづけ
るんだろうね。むしろそこから脱却でき
ないことが心配である」
「『多様な性なる神々の饗宴』はそりゃ
不快感を抱く人がいようけれども、別に
大多数の日本人は文脈を共有していない
ので関係ない。ロシア人や福音派の人々
の反発と、『饗宴』はセット。反発で初
めて表現として成り立つ。そして両者は
共に近代に属する」
などと主張しています。
あのショーの演出が「最後の晩餐」をモ
チーフにしたものではなく、「オリンポ
スの神々の饗宴」だとしたら、この某国
際政治学者のXへの投稿の内容も、全く
の勘違いだということになります。
国際政治学者にしては、お粗末極まりな
いですよね。
Xは、簡単に投稿できる便利なツールで
はあるものの、ちゃんと、事実を確認し
てからでないと、とんでもない勘違い投
稿をしてしまうという、良い見本と言え
るでしょう。
ところで、マリー・アントワネットの生
首の方に関しては、ジョリー氏は「処刑
道具のギロチンを賛美する意図は全くな
かった」と釈明したとのこと。
つまり、マリー・アントワネットの生首
であることは、否定しなかったというこ
とになります。
やっぱり、大騒ぎしているのは、日本人
だけなのでしょう。