妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

ロセッティとその二人のモデルについて、『ベアタ・ベアトリクス』。

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


本日は、昨日の記事の補足です。


観劇当日の宝塚バウホールの席は、前か
ら6列目のど真ん中。
いい席が当たったな、と思っていたら、
私もバウホールは久しぶりなので、忘れ
ていました。
バウホールは、6列目までが、ほぼ、平
坦で7列目から階段状になっています。
したがって、観やすいのは7列目以降。
やはり、前の人の頭が邪魔で、ちょっと
見づらい部分が……。しかも、センター
が見づらい。


もう一つ、頭に来たのは、後ろの席の男
女二人連れの男の方が女の方に対して、
休憩時間中、ずっと、ロセッティについ
ての蘊蓄を垂れていたこと。すぐ、後ろ
なので嫌でも耳に入ってきます。
要するに、実在のロセッティは、こんな
人物だった、というようなことを延々と
喋っているのです。
そもそも、劇場内でのおしゃべりは禁止
なのでは?


と、ちょっと愚痴を書いたところで、本
題に入ります。


私は、美術(絵画とか彫刻とか)に余り
関心もないし(そもそも良さが余り分か
らない)、知識もあまりないので、よく
知らないのですが、この作品を観て、肖
像画は別として、画家とモデルとの関係
というものについて、ちょっと、考えさ
れました。


この作品の中で、ロセッティは、理想の
女性として、リジーを見出します。
ダンテの詩に出てくる理想の女性“ベアト
リーチェ”をリジーの上に重ね合わせたの
です
そして、リジーをモデルとして、絵を描
き始め、成功を得ます。


ところが、同じアカデミーの仲間のエヴ
ァレットがリジーをモデルにして、描い
た傑作「オフィーリア」がすべてを狂わ
せていきます。


理想の女性であるはずのリジーをモデル
にしても「オフィーリア」を上回る作品
の描けないロセッティ。リジーを愛して
いるわけでもないのに、リジーをモデル
にして傑作「オフィーリア」が描けてし
まうエヴァレット。


そして、リジーをモデルとした絵の描け
なくなったロセッティは芝居小屋で会っ
たジェインに魅了され、今度は、ジェイ
ンをモデルにして絵を描き始めて成功し
ます。
その姿に絶望したリジーは、自死の道を
選んでしまいます。


リジーの死後、ロセッティがリジーをモ
デルとして描き上げたのが「ベアタ・ベ
アトリクス」。
ロセッティにとっての“ベアトリーチェ”
は、やはり、ジェインではなく、リジー
だったのです。


それを象徴する場面が、この作品の最初
と最後の方に出てきます。
場所は、ロセッティのアトリエのあった
場所。そこにいるのは、ジェインとその
夫のウィリアム・モリス。
今しも、ロセッティの葬儀が行われよう
としていますが、ジェインはその葬儀に
行くことを拒みます。
ロセッティが一番愛していたのは、自分
ではなく、ジェインであったことを「ベ
アタ・ベアトリクス」を見て分かってし
まったから。


男性の画家とそのモデルの女性の複雑に
絡み合った感情。それをこの作品は見事
に浮かび上がらせています。


最後に、「ベアタ・ベアトリクス」って
言いづらいな、と思っていたら、カーテ
ンコールで何とロセッティ役の極美慎さ
んが噛んでいました~!!
やっぱり、言いづらいですよね。
しかも、書きづらい。
昨日の記事も「ベアタ・ベアトリスク
と書いてしまって、後で、修正しました。