妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

星組公演『ディミトリ』登場人物別感想⑤(ルスダン、ミヘイル、物乞い)

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


今回は、ルスダンとミヘイルと物乞いに
ついてです。
星組公演『ディミトリ』登場人物別感想
は、これが最後になります。


舞空瞳さん演じるルスダンについては、
他の人の所でほとんど書いてしまいまし
た。
したがって、まず、ディミトリ(礼真琴)
の所で飛ばした白人奴隷のミヘイル(極
美慎)との場面です。


原作者の並木陽氏の『斜陽の国のルスダ
ン』の後書きによると、
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 さて、「タマラ女王は有名だけど、娘
のルスダンはどんな人だったのだろう」
という軽い気持ちから彼女について調べ
始めたのですが、「無能な女王」「淫蕩
な女王」というあまりの低評価に仰天す
ることになりました。
 確かに彼女の存在は、偉大な母女王に
比べると遥かに見劣りします。ルスダン
の時代はホラズム朝とモンゴルの猛攻を
受けた苦難の時代でした。王国は荒廃し、
ルスダンは母女王が築いた栄光をすっか
り失墜させてしまうのです。
 これで無能な女王のレッテルを貼られ
たルスダンですが、そればかりでなく、
彼女の不倫が原因で夫との間にすさまじ
い夫婦喧嘩が繰り広げられたというスキ
ャンダルがあったらしく、淫蕩な女王だ
の享楽的な女王だの散々な言われようで
す。
 とにかく、とてつもなく美しい女性で
あったことだけは、各国の年代記者が口
を揃えて語っています。
 辛口な評価ばかりを見ているとかえっ
て同情が募ってしまいますので、「本当
にここまで無能な女王だったのだろうか
?」「時代と境遇が悪いのでは?」「き
っと彼女にもいろいろ事情が……」とあ
れこれ考えているうちにできたのがこの
物語です。
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たしかに時代が悪いということはあった
と思います。ホラズムの来襲もモンゴル
の侵略を受けてのことですので、いかに
当時のモンゴル軍が圧倒的に強かったか
ということでしょう。


宝塚の舞台には、出てきませんが、王都
トビリシをジャラルッディーン(瀬央ゆ
りあ)の手からディミトリの救けによっ
て奪還することに成功しますが、その後、
結局、モンゴルの支配を受けることにな
ります。


ただ、その話とルスダンの不倫とは別問
題です。
ディミトリがルーム・セルジュークの間
者と内通して、ジョージア王国の情報を
ジャラルッディーンに伝えていたという
(ルスダンの誤解ではありますが)場面
は、原作者の創作だろうと思います。


ルスダンの不倫に何らかの理由を付けよ
うと原作者は考えたのだろうと思います
が、ディミトリの内通のショックでミヘ
イルと不倫するというのは、分からない
でもないですが、一国の女王としては、
余りにも軽率に思われます。原作者の意
図は、あまり成功しているようには思え
ません。


いっそのこと、宝塚の舞台では、このル
スダンとミヘイルの場面は全面カットし
ても良かったのではないかと思います。
原作を読まない限り、舞台を観ている観
客は気づかないだろうし、全面カットし
ても他の部分に影響するとも思えません。


ディミトリの幽閉に関しては、敵方と内
通したからで済むでしょうし、極美慎さ
んは、他の役をすればいいことです。


何よりも、この不倫に至るまでの場面が、
ディミトリがほとんど登場しないで、延
々と続くのは、ルスダンが主人公ならと
もかく、ディミトリが主人公の場合は、
受ける印象としては余り良くないように
思います。
原作を少々変えてでも、もう少し、ディ
ミトリが活躍する場面が欲しかったと思
います。


で、その場面です。


まず、王女タマラ(藍羽ひより)がミヘ
イルに摘んだ花の一部をあげようとしま
す。それを侍女が見咎めて、タマルに奴
隷なんかと口をきいてはいけないと諭し
ます。
ミヘイルはその場を去って、下手から退
場。
王女タマラの関心は次に移って、「あの
中には何があるの?」と厩舎の天幕の中
に入ってしまいます。
馬が暴れる様子が影絵の形で映し出され
ます。


ここはよく考えたと思います。
バイク(『HiGH&LOW』)や自動車
(『グレート・ギャツビー』)のように
馬を舞台上に出現させるわけにもいきま
せん。
モンゴル軍との戦いも本来、騎馬戦です
し、舞台にはありませんが、原作にはギ
オルギ王(綺城ひか理)とディミトリが
馬で遠乗りする場面があるのですが、ど
ちらも、舞台では、馬は登場しない場面
になっています。
ただ、ここだけは、馬を登場させる必要
があり、影絵で対応した、ということで
しょう。


王女タマラが厩舎の中に入り込むのをバ
ルコニーから見ていたルスダンは「何を
しているの!」と悲鳴を上げますが、周
りの廷臣や女官達は動こうとしません。
(これもどうかと思いますけどね。)
舞台下手からミヘイルが駆け付けて、天
幕の中に入り、タマラ王女を抱きかかえ
て救い出します。
王女タマラをルスダンの手に渡し、平伏
したミヘイルに、ルスダンは感謝の言葉
を述べます。


その様子を見ていたのが副宰相のアヴァ
ク・ザカリアン(暁千星)。ミヘイルを
利用することを思いつきます。


さて、ルスダンがどこかから現れたミヘ
イルと不倫の真っ最中に、ディミトリに
見つかり、ミヘイルは、ディミトリに斬
り殺されてしまいます。
その時のルスダンのセリフが「罪のない
者に、なんと酷いことを」です。
今の日本では、「不倫」は犯罪ではあり
ませんが、さすがに、当時のジョージア
王国では、女王との不倫は犯罪で、殺さ
れても文句は言えないだろうと思います。


しかも、これは、作者の創作ではなく、
史実であったようです。今、国家元首で
ある女王が不倫したら、大スキャンダル
でしょうし、この時も、大スキャンダル
になったようです。
まあ、ホラズムとモンゴルの侵攻を受け
て、占領されたのは仕方がないとしても、
奴隷と不倫するのは不味いでしょう。


最後の場面で、ルスダンが花が満開に咲
くリラの木の下まで続くディミトリの足
跡を見つける場面は、原作と同じです。
この場面は、原作もそうですが、感動的
な場面になっています。


不倫の場面を削除する代わりに、原作の
冒頭の場面(時系列的には最後の場面)
を加えて、ルスダンも自殺して、ディミ
トリと一緒に黄泉の国へ旅立つことにし
たら、『エリザベート』みたいで、良か
ったのでは? なーんて、思っています。


最後に、美稀千種さん演じる物乞いです。
最初の廃墟のような場面に登場するので
すが、最初観た時は、妖怪かと思いまし
た。ちょっと、あのメイクはないんじゃ
ないかと。
物語の語り手役も兼務しているので、何
度も登場するのですが、その度に、ホラ
ーになります。
雪組公演の『蒼穹の昴』の白太太みたい
になるのか、と思っていたので、大分、
イメージが違いますね。


最初の「ディミトリ」①で「最初の訳の
分からない場面」と書いた場面は、この
物乞いが登場して「人っ子一人いない」
と話すからです。
あの廃墟がジョージア王国の王都トビリ
シだとすれば、ホラズムやモンゴルに占
拠された時も住民は残っていましたし、
今は、ジョージアの首都です。
おそらく、今までに「人っ子一人いない」
状況になったことはないでしょう。
当然、原作にはない場面ですし、象徴的な
意味で入れたのでしょうが(そもそもリラ
の花の精なんてものが出てきますし)、ち
ょっと、首を傾げたくなります。


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