壽々の雑記帳

観劇のコメントや日々の出来事・時事問題などについて綴ります。

星組公演『ディミトリ』を観劇して感じた違和感②。

今日は、壽々(じゅじゅ)です。


②となっていますが、①(↓)とは、余り
関係がありません。


「違和感」と言っていいのかどうか、つ
まりルスダン役の舞空瞳さんについてで
す。


舞空瞳さんが、原作のジョージア王国の
女王であるルスダン役に似合わないので
す。


例えば、『ロミオとジュリエット』のジ
ュリエット役は良かったし、『めぐり合
いは再び』の王女アンジェリーク役も良
かったし、『王家に捧ぐ歌』のアイーダ
役も良かったと思います。


舞空瞳さんについては、礼真琴さんのよ
うに三拍子そろっているという訳ではな
く、ダンス>お芝居>歌 だと思います。


ただ、歌も別に下手ではなく、時々、ア
レッ?と思うくらいです。多分、高音部
が苦手なのかと……。


ですから、お芝居も下手だと思っている
訳ではありません。


ただ、誰でもそうだと思うのですが、似
合う役と似合わない役があります。


例えば、今の星組が(絶対にないことで
すが)『エリザベート』を上演したとし
たら、舞空瞳さんにエリザベートは似合
うでしょうか?舞空瞳さんのファンなら
ともかく、余り、似合うとは言えないの
ではないか、と、私は思います。


また、『王家に捧ぐ歌』では、舞空瞳さ
んがトップ娘役ですから、アイーダ役で
したが、初演で檀れいさんが演じたアム
ネリス役が似合うか、というと、これも
?です。


今回の『ディミトリ』でも、ルスダンが
王女の時は、特に違和感を感じませんで
した。また、ディミトリが王配で陰から
ルスダンを支えていた段階でも、それほ
ど違和感はなかったと思います。


問題は、ルスダンがディミトリの裏切り
に遭って(ルスダンの誤解なのですが)、
一人でジョージア王国を護ろうとした時
からです。
ここで、ルスダンは真の女王にならなけ
ればならないはずです、がそうは見えな
いのです。


原作では、この場面をこう書いています。
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 ルスダンは低く言った。
「そもそも女王たる者が、こんなにも深
く一人の人間に心を捧げてはならなかっ
た。心を凍らせ、ただ、王国のために在
り続けねばならなかった」
 ルスダンは顔を上げた。その瞳は決意
に満ちて、不気味なほどに爛々と輝いて
いた。
「わたくしはもう間違えないわ。二度と、
誰も愛したりするものか。この王国こそ
我が夫。わたくしのすべてをジョージア
に捧げます」
 それからというもの、ルスダンはほと
んど笑わなくなった。薔薇色の頬は白く
青ざめ、表情は氷のように冷たくなって
いった。
 生き生きと輝きに満ちて、まるで薔薇
の花から生まれた妖精のようだと称えら
れたルスダンは、もはやどこにもいなか
った。彼女は心まで冷たく凍てつかせた
雪山の女王のようになっていた。そして
その分だけ、人間離れした美しさはいっ
そう増していくようだった。」
==================
一部だけ抜き書きしましたが、ルスダン
が主人公であれば、星組では、この作品
は、上演しなかったと思います。


舞空瞳さんを弁護するとすれば、宝塚は
男役中心主義。礼真琴さんがディミトリ
に似合っていれば、トップ娘役の方は、
少々、似合っていなくても、妥協したの
だと。
これは、演技力でカバーできるものでも
ないように思えます。


その点だけが、この作品の残念な点だと
思われます。
やはり、トップ娘役ですから、舞空瞳さ
んにも似合う作品を選んで欲しかった、
と思います。そこが、残念です。


もし、この作品を花組でやっていたとし
たら?まあ、いいや。