妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

時代を先取りしたはずが、取り残されていた歌劇団ーENCOUNT

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


ここは、初めてですね。
ENCOUNTという所の記事です。
==================
「清く、正しく、美しく」の標語のバッ
クグラウンド


 間もなくやってくる2024年は、宝塚歌
劇団の創立110周年にあたる。その前祝い
となるはずだった2023年は、現役団員の
急逝をきっかけに、築き上げてきたブラ
ンドが大きく揺らぐ年になってしまった。
卒業生からも「竜宮城」に例えられた組
織の再生が急務になっている。


宙組に所属する劇団員が、宝塚大劇場公
演開幕の翌日に亡くなったのが9月30日。
以後も、劇団員の“ブラック”な労働実態
や演出家のハラスメントまでスキャンダ
ラスな報道が相次いでいる。


 とりわけ、会見における劇団理事(そ
の後理事長に就任)の「証拠を見せてい
ただきたい」発言は遺族に同情的な世論
に火に油を注ぎ、大江橋法律事務所が行
った当初のヒアリングとそれに基づく調
査報告書も「第三者委員会の規定を満た
すものではない」と遺族側から指摘を受
けた。度重なる労働基準監督署の立ち入
り調査と過去の是正勧告も明らかになり、
阪急阪神HDのコーポレート・ガバナンス
も問われているが、チケット発売後に公
演日程の見直しに踏み切るなど、対応が
全て後手に回っている状況だ。


 ファンにとっては毎年元日から宝塚大
劇場で始まる公演も正月の恒例行事だっ
たが、110周年を祝うどころではなく、
劇場周辺はひっそりとした年越しを迎え
ることになる。


 皮肉にも、10月から11月にかけて、歌
劇団創設者・小林一三氏の生誕150周年を
記念した「生誕150年展」が東京・有楽町
で開催、小林氏の業績がたたえられてい
たところだった。


 大正時代、阪急電鉄の直系母体の箕面
有馬電気軌道では、小林氏のアイデアで
沿線開発を推進。大阪・梅田から見て終
点の宝塚に温泉とレジャー施設を開業さ
せ、そのアトラクションと、1913年に少
女による唱歌隊を結成、翌14年から公演
を始めたのが宝塚少女歌劇の始まりであ
った。


 興行が順調に観客を集め、東京での公
演開催も軌道に乗るとさまざまな批評が
ついて回る。34年に東京に常設の劇場
(東京宝塚劇場)を建設して本格的な東
京進出が始まった頃に「清く正しく美し
く」のモットーが生まれた。本来は「朗
らかに、清く、正しく、美しく」であっ
た標語には、小林氏が「旧劇」と呼んだ
旧来の日本演劇、特に歌舞伎との差別化
を知らしめるものでもあった。


「日本の社交は、今なお花柳界の力をか
りるにあらざれば乾燥無味で、成立しな
い現状である。そこに、新橋柳橋赤坂は
言わずもがな、清く、正しく、美しい社
交的施設がゼロであるからである」
(小林一三氏『宝塚漫筆』より)


 小林氏にとって自社の宝塚歌劇や東宝
の映画興行と、社会的地位や財産を持つ
「旦那衆」が役者をひいき筋として支え、
「女遊びも芸の肥やし」という観念がま
かり通っていた旧来の芸能界は対極の存
在に位置づけられる。その上で、宝塚は
花柳界や富裕層へのコネクションなど持
たない中流層でも楽しめる舞台芸能とし
てアピールされていった。


 劇団員を「女優」ではなく、入団から
退団まで何十年在籍しても「生徒」と呼
ぶ習慣も、「女優のような『賤業』と一
緒にするな」というファンや幹部の醸成
された空気の中定着していった。


 ビジネスマンである小林氏の打算も込
められていたとはいえ、一般家庭の子女
を学校で教育して舞台技術を学ばせ、色
街とは無縁な新興の土地(宝塚)で近代
的な演劇を上演することが、新時代の日
本演劇の一里塚になると考えられていた。
創立当初の大正時代に、西洋音楽を本格
的に採用したことも、当時としては浅草
オペラなどと並んで先進的な劇団でもあ
った。


時代を先取りしたはずが、取り残されて
いた歌劇団


 ところが、花柳界と一線を画したクリ
ーンな劇団として生まれたはずの宝塚は、
不合理な因習まみれになっていた。宝塚
音楽学校から入団しても続く絶対的な上
下関係、組ごとの一挙手一投足にわたる
暗黙のルール、長時間の稽古や深夜まで
アクセサリーを手作りするやりがい搾取
など、いずれも故人に多大な心身のスト
レスを負わせ、死に追いやった原因とし
て遺族が指摘するものだ。100年の伝統
のもとに、旧弊を省みる余裕がなくなっ
ていた。


 卒業生も劇団の内と外の差を語り始め
た。宙組と星組に在籍したアーティスト
の七海ひろきは、12月9日にYouTubeチ
ャンネルで動画を公開し、自身の思いを
率直に語った。


 七海は劇団内の環境を「宝塚は浮世離
れしていて、時代の変化についていくの
が難しい場所です。例えるなら宝塚は華
やかな竜宮城で、そこは外の世界から孤
立していて、外からの情報が全く届きま
せん。そこにいると浦島太郎のようにな
ります」と竜宮城に例えた。


 在団当時の規律も「群舞やコーラスを
70人全員が完璧にそろえるのは一朝一夕
にはできないし、大人数がステージの上
で事故なく素早く移動するためには普段
から厳しい規律が必要なのだと教わって
きました。舞台でとっさの判断が必要な
時に意見が割れないよう普段から上級生
の意見は絶対で、何かミスが起きても息
をするように瞬時に上級生の動きに合わ
せる。そして、みんな1日中、365日芸事
と向き合って過ごします」と宝塚らしい
舞台をつくるために必要なものと理解し
ていたという。


 芸事にはある程度のストイックさは必
要と認めつつも、「でも、外の世界では
すごい速度で時が進んでいき、いろいろ
な価値観や考え方が変わっていて個人を
尊重する時代になりました。私は退団し
た時に本当に浦島太郎のような気持ちで、
世の中の変わりように驚きました。今の
若い世代の方たちはネットで情報が何で
も手に入るし地頭もいいし知識も豊富で、
しかもちゃんと自分の意見があってそれ
を表明できる人が多い印象です。きっと
宝塚の若い世代も同じだと思うので、つ
まり古いって気づいている人たちです。
そんな彼女たちと長年在籍している人た
ちとでは、全く別次元の価値観だと思う
んです」と述べた。


 そして、七海は「時代に合わせて変化
できないまま、109年続いてきた歴史の
積み重ね」の過程で「今回のような悲し
い出来事が起きてしまい、とても心苦し
い」と胸の内を伝えている。


 歌劇団に向けては「宝塚が続いていく
ためにも、これからの生徒さんの未来の
ためにも、劇団が誠実に向き合って、本
気で改革に取り組んでくださることを心
から願っています」とし、ファンに向け
ても「全ての人が納得することはなかな
か難しいかもしれませんが、どうか宝塚
を諦めないで、未来を見守っていただき
たいです」と語った。


 かつては美談として称賛されていた上
下関係も過重労働も許されない。芸能界
でもパワハラ・セクハラは一発アウトの
時代に、宝塚だけが“治外法権”でいられ
ない。そこに、組織防衛を優先するよう
な阪急電鉄の姿勢があいまって、称揚さ
れてきた伝統が全て反転して糾弾の的に
なっている。


 おりしも、視聴者の投票でメンバーを
決めるガールズグループオーディション
番組『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRL
S』で、宝塚音楽学校受験経験のある練
習生が、歌・ダンスの度重なる選考ステ
ージを勝ち抜いてデビューメンバーに選
ばれた。志す女性たちの舞台スキルと宝
塚というブランドはまだ残っている。組
織には失望しても、宝塚のコアファンや
エンタメファンは宝塚歌劇というカルチ
ャーまで否定しているわけではない。
2024年が、ファンの信頼をつなぎとめる
1年になるかが試されている。
==================
やはり、独自ネタというのは難しいので
しょうね。


宝塚の歴史と七海ひろきさんの話だけで
記事を書いている感じです。


週刊文春を悪く言う人もいますが、やは
り、独自の情報入手ルートを持っている
ということは、強いなと、こういう記事
を読むとつくづく思います。


ただ、太字にした部分は、まさに、その
通りだと思います。


私としては、宝塚も、もう少し、ファン
離れしてくれると、チケットが取りやす
くなって、いいなと思っているんですけ
どね。


なかなか、そうもいきそうもないですね。


去年の暮には、演出家の原田諒氏のセク
ハラ・パワハラ問題が話題になって、今
年の初めは、宙組トップのトップ娘役に
対するパワハラが話題になりました。


ただ、年末がこのような状態で迎えよう
とは、誰も思ってもみなかった事でしょ
う。


さて、来年はどんな1年になるのでしょ
うか。平穏な1年とはなりそうもないで
すが……。110周年なのにね。