妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

それでは、宝塚歌劇には原作へのリスペクトが必ずあるのか??

今日は、壽々(じゅじゅ)です。


漫画家の芦名妃名子(本名・松本律子)
さんが自殺したとみられるという報道に
関してです。


まず、その報道の内容を見てみましょう。
日刊ゲンダイDIGITALの記事です。
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芦原妃名子さん死去、「セクシー田中さ
ん」脚本めぐり…TV局の傲慢と原作者
“軽視”また浮き彫り


人気連載中の漫画「セクシー田中さん」
(小学館)の作者で、漫画家の芦原妃名
子(あしはらひなこ=本名・松本律子)
さんが29日、亡くなった。50歳だった。
現場の状況から自殺とみられている。


同作は昨年10月期に日本テレビ系でドラ
マ化されていたが、昨年12月には1~8話
を担当した脚本家がインスタグラムで、
「脚本家の存在意義について深く考えさ
せられるものでした」と“不満”を綴ってい
た。


 そして、今月26日に芦原さんはSNSで、
同作の脚本を巡って制作側と見解の違い
があったと明かした。そのうえで、9~
10話の脚本を自ら担当した経緯を説明し
ていた(現在は削除)。

 芦原さんの削除された投稿には、ドラ
マ化にあたって小学館を通して日テレ側
に伝えた「必ず漫画に忠実にする」とい
う約束が守られず、「毎回、漫画を大き
く改編したプロットや脚本が提出されて
いました」と書かれていた。これには複
数の放送作家や著名人から、テレビ局プ
ロデューサーらの「テレビに出してやる」
という傲慢さがあること、原作者を含む
外部スタッフへのリスペクトに欠ける態
度が指摘されていた。


 実際、同局で2008年ドラマ化された
「おせん」も放送開始後、同作の漫画誌
での連載が一時休載。原作者のきくち正
太氏は、ドラマについて、漫画家にとっ
て子供のような作品を嫁に出して「幸せ
になれるものと思っていたら、それが実
は身売りだった」と雑誌のコラムで明か
している。


 1997年にフジテレビ系で放送されたド
ラマ「いいひと。」の原作者・高橋しん
氏もドラマ化の条件が改変されて、原作
ファンに切ない思いをさせたことに責任
をとって連載終了に至ったと、単行本最
終巻のあとがきに綴っている。


 また、フジテレビで映画化とドラマ化
した「海猿」の作者・佐藤秀峰氏が2012
年に自身のSNSで、同局のスタッフがア
ポなしで取材に訪れたり、「海猿」の関
連書籍を契約書なく販売していたことな
どをあげて、絶縁宣言していた。その後、
和解したが、17年の契約終了時に「今後、
テレビやネットで放送、配信されること
は永久にありません」と報告。テレビ局
の実写化トラブルは、数十年前から問題
になっていた。


「テレビ局に限らず、映画や舞台でもプ
ロデューサーや監督などが原作者を軽視
し、トラブルがたびたび問題になってき
ました。直木賞作家の万城目学氏は16年
に自身のSNSで、映画のオリジナル脚本
に携わっていたがクビになったのに、映
画は進行していて予告編を見たら《私の
脚本の要素が残っていた》と苦しい胸の
うちを明かしています。


 13年には、モデルの土屋アンナが舞台
をボイコットして裁判沙汰になりました
(後に土屋の全面勝訴)。身体障害を持
つ歌手の濱田朝美さんの著書『日本一ヘ
タな歌手』を舞台化した作品でしたが、
濱田さんが内容を承諾していないと知っ
た土屋が稽古に出ず、演出家に訴えられ
た騒動でした。こうした『原作』ありき
のコンテンツでも、原作者の立場が守ら
れないトラブルは芸能界ではありふれて
います」(制作会社関係者) 


「セクシー田中さん」は7巻まで発売さ
れており、連載中だった。結末を楽しみ
にしていた原作ファンからは芦原さんと
作品を失って、悲しみの声をあがってい
る。(原文ママ)


で、この1~8話を担当した女性脚本家ら
に対して、誹謗中傷が相次いでいるよう
です。


詳しい情報のまだ、ないまま、この件に
ついて、コメントするのは差し控えます
が、それでは、原作小説、原作漫画など
を数多く舞台化している宝塚の場合はど
うでしょうか?


原作(原作ファンも含めて)および原作
者(または遺族)へのリスペクトがある
でしょうか?


原作者が生きているのに、その意に反し
てまで舞台化するというのは、宝塚の場
合は考えづらいです。


ただ、ある作品で、原作者の方が次々と
スシールや台本が送られてきたと書いて
います。まだ、連載中の作品で、原作者
には、当然、そちらの仕事を最優先にこ
なさなくてはなりません。


そんな中で、原作者が次々と送られてく
る台本を熟読している余裕があるでしょ
うか?


結局、その原作者は、「どのようにでも」
と言っています。


特に、自分の作品が舞台化やドラマ化さ
れた経験がほとんどない原作者の場合は
そうでしょう。制作側にお任せせざるを
得ないのです。


それらを捉えて、宝塚には原作へのリス
ペクトを感じる、というのは、勘違いも
甚だしいと思います。


具体的に一つの作品を取り上げて見まし
ょう。


小池修一郎氏演出の宙組公演『カジノ・
ロワイヤル』です。


イアン・フレミング氏の原作で映画でも
大ヒットした作品です。


この作品の公演プログラムに、小池修一
郎氏は、こう書いています。
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 幸い日本の著作権法で、イアン・フレ
ミングの作品はパブリック・ドメイン
(公有)となっていた。


(略)


 純粋なボンドファンからは「トンデモ
・ボンド」「どこがカジノ・ロワイヤル」
と異論が出ることは覚悟の上で、宝塚の
ファンタジーとしての物語を創っている。
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と語っています。


まさしく、『007』シリーズのファンの
私から見れば、「トンデモ・ボンド」で
スパイ・アクション物の原作へのリスペ
クトは、微塵も感じられませんでした。


原作の映画化をするプロデューサーの方
は、ジェームズ・ボンドを女性が演じる
ことは、ない、と言い切っています。作
るなら女性版のスパイ映画を作ればいい
のだと……。
そこについてだけは妥協しないという姿
勢は見事だと思います。


ジェームズ・ボンドという人物は、男性
から見れば、一種の憧れ的存在です。そ
れをこの宙組公演は見事にぶち壊してく
れました。


やはり、原作へのリスペクトが欠けてい
たと言わざるを得ません。


もう一つは、『ベルサイユのばら』で
す。池田理代子の漫画を舞台化した作品
です。


これこそ、原作へのリスペクトを感じさ
せる作品だと思われるとか思いますが、
どうも経緯は違う様です。(以下、ウィ
キペディアからの引用になります)
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 1970年前後、宝塚歌劇団はスターを輩
出し、ブロードウェイ・ミュージカルの
翻訳上演も行なうなど、新機軸を打ち出
してもいたが、テレビの普及や娯楽の多
様化の影響を拭い去るには至らず、赤字
決算となっていた。平日には客席に閑古
鳥が鳴く日も増えており、歌劇団存続を
危ぶむ声が歌劇団内部にも広がり始めた。


(略)


 新しい方向性を求めて外部からの演出
家の招聘が行われ、その一環として、戦
前からの宝塚ファンでもあった長谷川一
夫も招かれ、1971年、宝塚歌劇団で
『我が愛は山の彼方に』の演出を手がけ
た。


(略)


 原作を通読した植田紳爾は「この作品
は舞台化すればいける、ぜひ手がけたい」
と手応えを感じ、企画案を長谷川に相談、
はじめ長谷川は「描かれているのは王妃
の浮気の話。清く正しく美しく(が方針)
の宝塚ではやったらあかん」と指摘、主
に物語の内容面から乗り気でなかったと
いう。植田は「宝塚歌劇らしい作品にし
ます」と脚本での工夫などを改めて言明
して説得、なんとか長谷川の賛同を得て
上演計画が動きだしたという。


企画を聞いた宝塚歌劇団内部では首脳陣
から「漫画が原作ではだめだ」と反対の
声もあがったが、長谷川の賛同を得てい
たこともあってなんとか上演が決定、原
作者・池田は宝塚歌劇好きで、舞台化を
快く了承(植田の回想によると「安めの
原作料の支払いだけで上演許可をくれた」
という)。多忙な長谷川が稽古や演出の
ために時間をとれる時期を考慮して、月
組公演として公演時期も正式に決定する。
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しかし、宝塚歌劇団から上演・配役が公
表されると、原作ファンから「原作での
八頭身のオスカルを日本人が演じるのは
無理、イメージが壊れるから上演は中止
してほしい」などと批判的な投書が多数
届き、植田のもとにもたびたびカミソリ
を入れた脅迫の投書が送られてくる事態
となる。(以下、略)
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つまり、『ベルサイユのばら』は、宝塚
歌劇団の赤字対策、起死回生策として、
最初は上演された、ということで、原作
へのリスペクトがあったからではないと
いうことのようです。


原作、原作者、原作ファンへのリスペク
トは、必要でしょうが、必ずしも、それ
が宝塚の上演の動機という訳ではないよ
うです。