花組公演『巡礼の年』のここが今一つと思うところ。
今日は、壽々(じゅじゅ)です。
他の方の感想を読むと絶賛の嵐の『巡礼
の年』にケチをつけるのは、花組ファン
の反発を買いそうな気がするのですが、
ちょっと気になったので、書くことにし
ます。
終盤の場面の分かりにくさもそうなんで
すが(名作とか涙が出た、という方がい
ますが私はむしろ眉間にしわが寄りまし
た)、他の場面で、これはどうもと思う
ところがありました。
それは、4番目の場面、ジョルジュ・サン
ドの屋根裏部屋でロマン主義の芸術家た
ちが集まっている場面です。
こんなにたくさんの芸術家が集まってい
る必要があるのか、と思いました。
人数が多すぎて、なんか、場面がゴチャ
ゴチャしています。
一応、全部、実在の人物です。
どうも、最近の作品を観ていると、演出
家の先生がやたらと多くの出演者に役を
付けたがっているように見えます。
星組公演『めぐり会いは再び next gener
ation』でもそうです。
王女の婚約者選びの場面がゴチャゴチャ
し過ぎです。
せっかく、専科から高翔みず希さんが出
演してヴィクトル・ユゴー役なのにほと
んど出番もセリフもありません。
リストとマリーがスイスのジュネーヴに
駆け落ちした後の場面でも同じです。
ジョルジュ・サンドが二人を追いかけて
ジュネーヴへ行くと言ったときに、さす
がに心配になったショパンも作曲の取材
と称して一緒に行きます。
それだけならいいのですが、結局、ロマ
ン主義の芸術家たちも、ぞろぞろとリス
トとマリーがパリを離れて解放感に浸っ
ているところへお邪魔虫のようにやって
きます。
リストでなくても不機嫌になるでしょう。
いろんな役の人を観たいという人には嬉
しいのでしょうが、舞台の主役の演技に
集中したい人にとっては、横で何かやっ
ているのは、雑音でしかありません。
すべての観客を満足させることは、不可
能なのですから、宝塚の演出家もある程
度は割り切らないと、なかなか、いい作
品は作れないのではないか、と思います。