妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

暇なので、ロバート・レッドフォード主演の『華麗なるギャツビー』を観ました。デイジーがね……。

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


本来ならば、昨日は月組公演『グレート
・ギャツビー』2回目の観劇日。
2回目どころか、1回目も休演になって、
まだ、1回も観劇できていません。
何とか、3回目は、と思っているのです
が、それもどうなることか。


夏休み、お盆ということで、新幹線も混
むし、そもそも暑いし、ということで、
月組公演以外はできるだけ、他の公演の
観劇予定を入れないようにしていため、
シャーロック・ホームズではないですが、
退屈だ~、退屈だ~の毎日。


で、予習も兼ねて映画版『華麗なるギャ
ツビー』のDVDを借りて観ることにしま
した。


映画版は、2作あるんですね。知りません
でした。今回、観たのは、ロバート・レ
ッドフォード主演の旧い方。
(ほかにTV映画が1作あります)


DVDを観た他の方の感想を見ていると、
映画版2作それぞれも宝塚版とでも、ど
うも描き方が少し異なるようです。
特に、ギャッツビーとデイジーの描き方
は、それぞれ結構異なるようです。


一番ソフトなのが多分宝塚版(他の方の
感想を読んだ限りで)、一番シビアなの
が今回観たロバート・レッドフォード主
演版のように思います。


今回観たロバート・レッドフォード主演
版のデイジーは、全く共感できない女性
として描かれています。そんなデイジー
を真剣に愛し、守ろうとするギャツビー
もデイジーの真の姿を見ようとせず。た
だ、過去の幻想を追い求めているように
見えます。


時代は、1920年代のアメリカ。
この映画は、その当時のアメリカの格差
社会というものを見事に描いています。
デイジーは、大富豪の娘。軍人のギャツ
ビーと愛し合うようになりますが、戦争
から帰っても無一文の貧乏青年であるギ
ャツビーを見限り、大金持ちのトム・ブ
キャナンと結婚してしまいます。


デイジーの愛を再び取り戻すために、ギ
ャツビーは、酒の密輸に手を染め、財を
成し、学歴もオックスフォード出と偽り、
ニューヨークの郊外、ロングアイランド
のウェストエッグに大邸宅を建て、夜毎、
客が大勢押しかけ、盛大なパーティを繰
り返しています。


ギャツビーは、隣人であり、デイシーの
いとこでもあるニック・キャラウエイの
手助けによりデイジーとの再会を果たし
ます。


夫のトムが自動車整備店のオーナーのジ
ョージ・ウィルソンの妻マートルと浮気
をしていることを知っているデイジーは、
ギャツビーの豪邸の素晴らしさとその優
しい態度に次第に心が惹かれていきます。


デイジーのその様子を見ていた夫のトム
は、ギャツビーに不審を抱き、その素性
を調べさせます。
そして、ギャツビーがデイジーとの結婚
をトムに切り出そうとしたその時、トム
はギャツビーの正体をデイジーの前で明
かします。


錯乱したデイジーは、ギャツビーが所有
する自動車を猛スピードで運転した挙句、
道に飛び出したトムの愛人のマートルを
ひき殺し、そのまま逃走します。


その後、何事もなかったように暮らすト
ムとデイジー。そこへ、妻をひき殺され
たジョージ・ウィルソンがやってきます。
トムが応対に出て(映画では話している
内容は聞こえませんが)、ギャツビーが
車を運転してマートルをひき殺したと話
します。


マートルの復讐のために、拳銃を持って
ギャツビーの邸宅を訪れたジョージは、
プールにいるギャツビー目掛け発砲しま
す。そして、銃口を自分にも向け自殺し
てしまいます。


ギャツビーの葬儀に出席したのは、ニッ
クとギャツビーの父親のヘンリーだけ。
ニックは、デイジーに連絡しようとしま
すが、連絡がつかず、デイジーの姿は葬
儀の場にはありませんでした。


ブキャナン一家がニューヨークから旅立
とうとするところへニックが居合わせ、
何事もなかったかのように挨拶をするの
でした。


大体こんなストーリーですが、面白いの
は、この映画を観た人のデイジーについ
ての感想。


こんな具合です。
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「あの女も結局車で引いといて逃げる時
点でくずやわ。」


「デイジーの世間知らずのお嬢さま感が
より強くて、自分と家族が良ければ誰が
死のうが知らんぷり、自分のせいで誰か
が死んでも相変わらず自分は悲劇のヒロ
インな態度に、、、ニックと同じ顔にな
らざるを得ない。」


「デイジーがすごく愚かな女性として描
かれてた感じ。ありそうだけども。」


「自分の体裁ばかりで誰も彼も振り回し
て被害者面の彼女。」


「デイジーが好かんわぁ。
花のように美しく、その存在は華やかだ
けど夢見がちで奔放。現実逃避にギャツ
ビーを利用し、ギャツビーをリアルに感
じた瞬間、彼を突き放すリアリスト。
彼女の可憐さと同時に狡猾さも感じて、
あぁー、デイジー。
この時代に生きる女性か。。そうなのか。
と感じてしまった。」
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ロバート・レッドフォード主演版のデイ
ジーは、確かにそんな感じなのですが、
むしろ、これが当時のアメリカの富裕層
の人間の普通の感覚なのかな、と感じま
した。
自分たちが特別で、貧困層の人を人間扱
いしていない。だから、そんな人間をひ
き殺しても良心が咎めない。
ギャツビーのこともその仮面が剥がれ落
ちてしまったので、もう顧みることもし
ない。
私には、デイジーは「悪女」ではなく、
富豪の家に生まれたために、そのように
育ってしまった、という感じがしました。


宝塚版のデイジーとは、多分、印象が大
分違うのではないでしょうか?


次は、レオナルド・ディカプリオ主演版
を観てみようと思います。