妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

天海祐希さんも宝塚時代に「イジメ」の被害者だった!?ー女性セブン

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


今回は、「女性セブン」の記事です。


タイトルは「天海祐希「カネで役を」絶
望した「嫉妬の園」です。


一部、省略しますが、こんな内容です。
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(略)
阪急電鉄とJR福知山線が乗り入れる宝塚
駅から大劇場へと続く遊歩道は通称「花
のみち」と呼ばれ、その遊歩道が、公演
がある日に多くのファンでごった返す背
景には、宝塚独特の習慣がある。


「楽屋入りする男役トップスターを熱心
なファンたちがお見送りする『入り待ち』
があるんです。公演ごとにジャンパーや
スカーフ、小物などを揃えて、統制の取
れた動きで“行ってらっしゃい”と声をかけ
ます。トップスターは立ち止まって、笑
顔で応えるのが恒例行事。公演中の入り
待ちは、開演時間の2~3時間前なので、
周辺には何時間も前から人が集まるんで
す」(宝塚ファン)


 宝塚には、そうした独特な慣習が伝統
として受け継がれてきた。もちろん、タ
カラジェンヌたちもそれを理解している。
だからこそ、ステージを降りた後でも、
タカラジェンヌとしての品格を重んじる
暗黙のルール「すみれコード」が重視さ
れてきたのだろう。だが、かつてそうし
た習わしに大なたを振るったトップスタ
ーがいた。天海祐希(56才)だ。天海は
1993年から2年間、月組のトップスター
を務めた。


「天海さんは楽屋入りの際、決まって帽
子を目深にかぶり、大股でファンの間を
すり抜けていきました。ファンからの歓
声にも応えなかったため、ファンからは
“あまりにも無愛想で、サービス精神がな
い”と言われたこともありました。でも、
それは“劇場を離れればひとりの人間”と
いう天海さんなりの考えがあったから。
普段から、トレーナーやTシャツにジー
ンズというシンプルな服装を好み、すっ
ぴんで自然体を通していたのも彼女ぐら
いでした」(宝塚関係者)


「宝塚の最高傑作」と言われ、数々のス
テージの中央でスポットライトを浴びて
きた天海。一方で、時に「異端児」とさ
れ、「いじめ」の標的になったこともあ
った。しかし、天海自身は公の場で宝塚
時代のことをあまり語ってこなかった。


「天海さんは、過去の苦労話をすること
をあまり好まないんです。大変だったこ
とや納得がいかなかったことでも、自分
の中で整理がついていれば、わざわざ話
さなくていいという考え方なんです。苦
しい記憶であっても、いまとなっては自
分を形作る思い出の1つだという思い。
それだけ、宝塚時代を大事にしているの
でしょう。だから、軽々に話したくない
という気持ちが強いんだと思います」
(演劇関係者)


(略)


当時の音楽学校の生活は、軍隊並みの厳
しさだったという。起床は4時半、早朝
6時過ぎから8時過ぎまでは、音楽学校特
有の掃除の時間だった。綿棒や筆まで使
って、教室から廊下、校内の至るところ
のすみずみまでほこりを取り除く。それ
でも残ってしまったほこりを見つけられ
「これなあに?」と先輩からの嫌みな言
葉が飛んだ。


《「ほこりです」とも言えないから、謝
るしかないんです。口答えも、反論もで
きないんです》


 宝塚在籍時の1994年、天海は雑誌のイ
ンタビューでそう話していた。ハードな
のは掃除だけではない。休みは日曜日だ
けで、毎日、日本舞踊に演劇にバレエに
タップの稽古が続く。「鼓笛行進」とい
って、1時間ひたすら行進するカリキュラ
ムもあったという。出来が悪ければ、容
赦なく本科生からの厳しい声が飛んだ。


「天海さんを支えたのは、“高校を中退し
てきたのに、辞められない”という反骨精
神でした。送り出してくれた両親に面目
が立たない。そういう価値観が彼女の原
動力になっていたのでしょう」
(前出・演劇関係者)


どれだけつらくても黙々と日々の稽古に
耐えていた天海だが、上級生に対し、怒
りを露わにしたことがあった。もはや指
導とは言えない「いじめ」を目撃したと
きだ。


「同期の1人が、本科生からいじめを受
けたことがあったんです。そのとき天海
さんは“1人だけをいじめないでください”
と憤慨した。理不尽な理由で同期が課せ
られたトイレ掃除を、“私も一緒にやりま
す”と買って出たこともあったそうです。


 そうした上下関係を見てきたからでし
ょうね。天海さんが本科生になったとき
には“夢を見せる存在である宝塚が、こん
な規律に縛られていてはいけない”と、リ
ーダーシップをとってルール改革をした
そうです」(前出・別の演劇関係者)


(略)


天海もまた、陰湿な噂話に苦しめられた
ひとりだ。音楽学校を卒業し、月組に配
属された天海は、それからわずか半年ほ
どで、入団7年目までのタカラジェンヌ
で公演を行う「新人公演」で主演に抜擢
された。端的に言えば、6年分の先輩を追
い抜いたことになる。


「入団1年目の主演抜擢は当時の歌劇団
80年の歴史の中で初の快挙でした。歌劇
団幹部からは、とにかく天海を大型男役
として早く大成させるように、経験を積
ませろと号令が出ていたそうです。もち
ろん、天海さんに実力があったことは言
うまでもありません」
(前出・演劇関係者)


 だが、抜擢された天海に羨望と嫉妬の
視線が向けられるようになった。


「『新人公演の主役を、カネで買った』
という噂が流れたんです。それを信じた
知り合いが、天海さんに直接“いくらか
かったんですか?”と尋ねたこともあっ
たそうです。


 ほかにも『受験をせずスカウトだった』
とか『5年でトップにするという密約で入
った』『宝塚から契約金をもらった』と
いったものもあった。音楽学校の入学前
に、一度モデルを務めたことから、そう
した話になったのかもしれません。天海
さんのそれまでの努力すべてをなかった
ことにされるようなものでした」
(前出・演劇関係者)


公演で身につける衣装がなくなったこと
もあったという。


「それでも、天海さん自身は明らかに自
分に敵意を向けている人とも、コミュニ
ケーションを取ろうとしたんです。素っ
気なくされても、どんどん話しかけてい
った。ただ、そうした努力にまで“鈍感だ
”“ヘラヘラしている”という声が湧いた。
根も葉もない噂が広まっていく歌劇団に、
天海さんが絶望を覚えたことは想像に難
くありません」(前出・別の演劇関係者)


 その後、天海は入団7年目の1993年に、
月組トップスターに就任。これもまた、
異例の早さだった。だが、天海がステッ
プアップすればするほど、悪意ある言葉
が向けられた。「超豪華億ションに住ん
でいる」「ファンクラブの幹部を呼びつ
けて、夜中に洗濯をさせていた」といっ
た噂話まであった。「宝塚にいるから噂
を立てられる」と、退団を考えたことも
一度や二度ではなかったという。


 前述したように、特に退団後の天海は、
宝塚時代への言及を極力控えている。
「『女の世界』だから、いじめや嫉妬が
蔓延する」と見られることを嫌ってのこ
とだ。一方で、在籍時には、天海の苦し
みの一端が見えたこともあった。


 歌劇団が発行する月刊誌『歌劇』
(1995年2月号)に、天海はコラムを寄
せている。「いま、気になっていること
を書いてほしい」という依頼に彼女が選
んだ題材は、1994年11月末にいじめを苦
に自殺したある男子中学生のことだった。


《最近、いじめを苦にした自殺が多い事
に心が痛んでならない。きっと、その毎
日の中では、小さな心で解決しきれなか
ったこともあったでしょうね……。(中
略)人が大勢いれば、全員が同じという
事はないし、立場の弱い人もいれば強い
人もいる。だから少しでも経験をつんで
いる人がそうでない人を助けてあげられ
る世の中になればいいなあと思います》


はるか30年近く前に、「伝説的タカラジ
ェンヌ」が残した言葉は空虚に霧散し、
「現役タカラジェンヌの自死」という悲
劇を招いてしまった。
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天海祐希さんの時代から、宝塚歌劇団の
体質はどれほど変わったのでしょうか?


何も変わらなかった、変えようともしな
かったことが、今回の悲劇を招いてしま
ったような気がしてならないのです。