妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

花組公演『巡礼の年』~リストがピアノの魔術師と呼ばれるようになったのは、悪魔のヴァイオリニスト パガニーニの影響を受けたから?

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


花組公演『巡礼の年〜リスト・フェレン
ツ、魂の彷徨〜』『Fashionable Empire』
が、6月4日(土)から宝塚大劇場で上演
されます。


一方、翌週の6月7日(火)からは、東京
のシアタークリエで、『CROSS ROAD
~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ
~』が上演されます。


ほぼ同じ時期に、ピアノの魔術師と呼ば
れたリスト(1811年 - 1886年)を描いた作
品と悪魔のヴァイオリニストと呼ばれた
パガニーニ(1782年 - 1840年)を描いた作
品の2つが上演されることになりました。


ところで、リストの作品に「パガニーニ
大練習曲集 」というのがあります。
その作品解説にこのように書かれていま
す。


===================


その技巧のあまりのすさまじさのために
「悪魔に魂を売った」と言われたヴァイ
オリンのヴィルトゥオーゾ、パガニーニ
(1782-1840)。リストがその演奏を初
めて聴いたのは、1832年、21歳の時で
あった。そのとき、感激のあまり、自分
は「ピアノのパガニーニになる!」と叫
んだというのは、有名な逸話である。

の衝撃的な出会いは、ピアノ史上に革新
的な作品を生み出すことになった。


まず、リストは、パガニーニのヴァイオ
リン協奏曲第2番の終楽章を基に、《「鐘」
によるブラヴーラ風大幻想曲》を作曲し
た。
これは、のちの《パガニーニによる超絶
技巧練習曲集》、そして《パガニーニに
よる大練習曲》の第3曲『ラ・カンパネッ
ラ』の原形となった曲である。


そして、1838~1839年にかけて作曲され
た《パガニーニによる超絶技巧練習曲集》
において、リストのパガニーニ研究の成
果は一応の完成をみる。しかし、ここで
納得するようなリストではなく、1851年
に大幅に手を加え、《パガニーニによる
大練習曲》と名付けて改訂版を出版した。


リストはパガニーニの楽譜を、ただピア
ノ用に編曲したわけではない。上述の宣
言どおり、パガニーニがヴァイオリンと
いう楽器で実現した高度なテクニックを、
ピアノ独自の語法によって表現しようと
試みている。そこから新しい語法や技巧
が編み出されることとなり、結果として
非常に革新的で、類い稀な難易度の高さ
を誇る作品が生み出されることとなった
のである。さらに、《パガニーニによる
大練習曲》への改訂においては、簡潔な
テクニックによる表現の洗練が目指され
た。


==================


楽器は違いますが、いずれも超絶技巧の
持ち主。
上記の逸話のとおりだったとしたら、パ
ガニーニの演奏をリストが聞かなかった
ら、リストがピアノの魔術師と呼ばれる
ことはなかったのかもしれません。