妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

『巡礼の年』のリスト・フェレンツの華麗なる女性遍歴

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


その超絶技巧のゆえにピアノの魔術師と
呼ばれるリストですが、ピアニストとし
ては当時のアイドル的存在でもあり、女
性ファンの失神が続出したとの逸話もあ
ります。
宝塚の舞台では、マリー・ダグー伯爵夫
人との恋愛を中心に描かれるものと思い
ますが、その他にも様々な女性との恋愛
の話が残っています。


まず、1827年には父アーダムが死去し、
わずか15歳にしてピアノ教師として家計
を支えますが。教え子であったカロリー
ヌ・ドゥ・サン=クリック伯爵令嬢との
恋愛が、身分違いを理由に破局となって
います。


次がマリー・モーク。マリー・モークは
ベルリオーズと婚約破棄の騒ぎを起こし
た非常に美しく恋多き女性。マリー・モ
ークはその後とあるピアノ・メーカーの
御曹司夫人となったのですが、リストと
出会って不倫関係に。その関係は短いも
のではありましたが、二人が逢引に使っ
た部屋というのがショパンの部屋でした。
リストはショパンの部屋の鍵を預かって
おり、それを利用してしまったというわ
けです。ショパンは猛烈に怒りリストと
は距離を置き始めます。ちなみに、この
ピアノ・メーカーの御曹司、つまりマリ
ーの旦那さんとリストは友人同士でした。


その3年後がマリー・ダグー伯爵夫人との
恋愛で、1835年にスイスへ逃避行の後、
約10年間の同棲生活を送ります。2人の間
には3人の子供が産まれ、その内の1人が、
後に指揮者ハンス・フォン・ビューロー
の、さらにリヒャルト・ワーグナーの妻
になるコジマです。
ところが、1844年にはマリーと別れてい
ます。
原因は「リストマニア」と呼ばれる熱狂
的女性ファンと多数の情事にふけったこ
とと言われていますが、それ以上に身分
と人種の問題が大きいとされています。


また、マリー・ダグー伯爵夫人とリスト
が付き合っている間に、ショパンの恋人
ジョルジュ・サンドが登場。実はこのサ
ンド、同性愛者でもありマリー・ダグー
伯爵夫人とも関係をもちながらリストと
も関係をもっていました。この三人は奇
妙な三角関係にありましたが、仲良く三
人で旅行に行ったりフリーな恋愛関係に
ありました。


その後、リストは再びピアニストとして
活躍しますが、1847年に演奏旅行の途次
であるキエフ(キーウ)で、当地の大地
主であったカロリーネ・ツー・ザイン=
ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と恋に落
ち、同棲します。彼女とは正式の結婚を
望んだのですが、カトリックでは離婚が
禁止されている上に、複雑な財産相続の
問題も絡み、認められませんでした。
カロリーヌもリストもこれをきっかけに、
聖職者の道を進むことになります。リス
トは神父の地位までたどりつきますが、
その後も相変わらず女性問題を起こして
いました。


ということで、名前が出て来る以外にも
数多の女性とリストは恋愛関係にあった
ようです。
よっぽど、女性にもてたようですね。


なお、『巡礼の年』で音くり寿さんが演
じるラプリュナレド伯爵夫人は検索して
も出てきません。
実在の人物ではなく、オリジナルキャラ
クターなんでしょうか?


リストのパトロンとして名前が出て来る
のは、ワイマール公アレクサンダーだけ
です。