妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

宝塚を牛耳る"ドンと女帝"②ー週刊文春第10弾

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


何か、周回遅れになってきました。
何ででしょう?


前回①↓の続きになります。
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 角氏は12月1日付で宝塚音楽学校理事
長を辞任したが劇団理事に留まる。現在、
二つの鉄道会社を軸に104社・5団体を束
ねる。昨年度のグループ売上高は過去最
高の9,683億円だった。角氏はどんな人
生のレールを歩み"宝塚のドン"になった
のか。


 子どもの時から身近に阪急電車と宝塚
があった。阪急沿線の兵庫県宝塚市で四
人兄弟の末っ子として生まれ育ち、父は
阪急電鉄の顧問弁護士で、母は宝塚の大
ファン。早稲田大学政治経済学部卒業後、
父と縁のある阪急電鉄に入社した。


 一年目は宝塚線で運転士を務め、役員
になるまで鉄道畑一筋。阪急電鉄の社長
に就任したのは、03年、54歳の時だった。
当時、阪急はバブル期の過剰投資が失敗
し、過去最高の893億円の赤字を計上。
創業家出身で16年にわたり社長・会長を
務めた小林公平氏が引責辞任し、社長に
昇格したのだ。


 関西経済界で一躍脚光を浴びたのが、
06年。永遠のライバルである阪神電鉄と
の経営統合だった。


「"モノ言う株主"村上世彰氏による阪神
電鉄の買収騒動が起きると、阪神と交渉
を重ね経営統合をまとめた。統合後、阪
急・阪神の両ブランドを共存させ、関西
人から『阪神電車とタイガースを守った』
と称賛されました」(劇団関係者)


 名実ともにグループの頂点に立った角
氏。この頃を境に宝塚への影響力を強め
ていったという。


 07年のクリスマスイブ、退団する花組
のトップスター・春野寿美礼はサヨナラ
ショーで12曲を披露した。宝塚での思い
出深い曲を歌いあげた後、トリを飾った
のが、ファンも聞きなれない「こんなに
愛されて」という曲だった。


「角氏がその日のために作詞作曲したの
です。灘高校時代は加山雄三に憧れ、バ
ンドを組み、ギターを担当したことから
音楽の経験が多少あったみたいですが…」
(花組関係者)


 当時、コーラスを務めた花組生は舞台
袖でこう叫んでいたという。


「こんな珍曲、歌うのイヤや!」


 小林公平氏は阪急の会長を退いた後も、
亡くなる直前の2010年まで宝塚音楽学校
の校長と理事長を兼務。角氏は公平氏の
後継として学校理事長に就任した。


「小林家は阪急ブレーブスの売却や宝塚
ファミリーランドの閉園など不採算事業
から撤退したが、万年赤字の劇団だけは
守ってきた。公平さんの宝塚への愛はひ
としおで、スターであろうとなかろうと
生徒を平等に可愛がった。一方、角氏は
特定の生徒にのみ肩入れする」(前出・
花組関係者)


 数年前、劇団公認のファン団体「愛宝
会」パーティーの席上でのこと。


「この娘を使ってやって」


 ある演出家にそうキャスティングを指
示する淑女の姿があった。その隣では角
氏が笑顔で頷いている。ドンによる依怙
贔屓の背後に"女帝"の存在があるのだ。


「会長夫人のA子さんです。広島出身で
一つ年上の姉さん女房。二十代の頃、早
大生だった会長と出会い結婚。二人の子
供がいる。会長の大好きだった桜田淳子
似で、一目惚れだったとか」
(阪急関係者)


 かつてインタビューで「妻には苦労を
かけてます」と語っていた角氏。宝塚の
大ファンであるという夫人に"会長特権"
で恩返ししてきたようだ。


「トップスターに就任した生徒は、会長
夫妻から、小林一三旧邸内のレストラン
『雅俗山荘』での食事会に招かれる。お
気に入りの生徒のディナーショーでは良
席を求め、退団する時は、私設ファンク
ラブ主催のフェアウェルパーティーにも
参加したがる。ある生徒が渋ると、小川
友次理事長(当時)が『なんとか入れて
やってくれ』と頭を下げていました。」
(元劇団員)
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なんともはや、ですね。
呆れてしまいます。
夫妻の暴走の話はまだまだ続きます。
→③へ続きます。


↓①の記事です。