妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

週刊文春は必要か?

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


TOKYO MXで、こんな討論が行われたよ
うです。
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スクープは必要?“文春砲”も…「週刊文
春」の元エース記者と「週刊誌報道のあ
り方」を徹底討論!


TOKYO MX(地上波9ch)朝の報道・情
報生番組「堀潤モーニングFLAG」(毎
週月~金曜6:59~)。「激論サミット」
のコーナーでは、「週刊文春」の元記者
でジャーナリストの中村竜太郎さんを交
えて、“週刊誌報道のあり方”について議
論しました。


◆週刊誌のスクープにルールは必要か?


政界や芸能界の数々のスキャンダルを報
じてきた週刊誌。2016年には新語・流行
語大賞に「文春砲」がノミネート。度々
スクープを報じて世間を揺るがしてきま
した。大きな影響力を持つ週刊誌報道は
どうあるべきなのか。


まずは週刊誌報道の源であり、世間が注
目する“スクープ”にルールは必要か?コ
メンテーター陣に問うと、文春オンライ
ンに寄稿をしているコラムニストの河崎
環さんは「文春のデジタル化が稀有なく
らいの成功を見せているが、スクープが
それを牽引しているのは自明。そのなか
で私が感じるのは、走りながら考えるし
かない、最終的にルールは世間が決める
もの」と話します。


さらに、スクープに限らずあらゆる記事
や主張は「世間が興味を持たなかったら
続編は出ない。世間が何かを返してくる
から次が出せる。つまり、(スクープは)
ジャーナリズムと世間の合わせ技、そこ
でできあがっていくものだと感じている」
と河崎さん。


「The HEADLINE」編集長の石田健さん
は、文春をはじめとする週刊誌がやりす
ぎなのではなく、「テレビや新聞が(報
道を)やらなさすぎる」と指摘します。
「例えば、性加害など誰かの人権を侵害
しているものに関しては、告発の場がな
いことが根本的な問題なので、そこで週
刊誌は非常に大きな役割を果たしている」
と評価しつつ「テレビや新聞が全てきち
んと報じれば“週刊誌はやりすぎである”と
堂々言える。それが言えないというのは、
やはりテレビや新聞が報道としての役割
を十分に果たしていないのではないか」
と熱弁。


株式会社ABABA代表の久保駿貴さんは
“ルールを作る必要なし”と明言。「例え
ばジャニーズ問題にしても、文春が報じ
て世間で明るみになり世論が生まれ、問
題に発展していった。一方で芸能人の子
どもの写真などを(勝手に)掲載するの
はどうかという意見もあるが、それはそ
れで世論が形成されるはず。そうやって
ルールが作られていって、報道も新たな
あり方ができていくと思う」と私見を述
べます。


3人の意見に中村さんは大方同調しつつ、
スクープの出所・ネタ元について言及。
そのひとつにテレビの記者・報道マンが
あり、なぜなら彼らがいくら取材を重ね、
有益な情報を得てもテレビでは報じられ
ないことがあるから。それをいい形で重
層的に世間に昇華すべく週刊誌に流れる
ことが多々あるそうです。


週刊誌のスクープについて、街頭で意見
を聞いてみると「ある程度のコンプライ
アンスは守るべき」(20代 男性)、「芸
能人にもプライベートがある」(20代 男
性)と否定的な意見があがるなか、中村
さんはこうした声を歓迎。というのも、
メディアに対する意識や取材方法などは
時代によって変化してきましたが、違法
性のある取材が横行していた時代もあり、
その都度メディアは批判にさらされ、そ
れらを受け止め、自ら改良・改善して今
があるから。中村さんは「(一般市民の)
厳しい意見は、私はかえってありがたい
と思っている」と思いを語ります。


◆責任の所在は? 日本ではまだまだ少な
い署名記事


キャスターの堀潤は、取材する側も一定
の緊張感を持つべきと主張。でないと取
り込まれてしまう恐れもあるから。さら
に堀は「何も言う力のない人を追い詰め
るのではなく、メディアに出ていたり、
SNSで発信力を持っているなど、違うな
ら違うと言える場所がある、そうしたこ
とが(取材の)選定対象となり、書かれ
たら意見をすればいい。それが民主主義
的なアプローチだと思う」と意見を述べ
ると、石田さんは賛同。


そして、石田さんは記事の責任の所在、
“署名記事”の有用性について問いかけま
す。中村さん自身、この問題については
かねてから考えていたそうで、「海外に
比べて日本のメディアは署名記事が少な
い。記者が独自に取材した調査報道の場
合は、やはり署名記事にしたほうがいい」
と自身の見解を明らかにします。


署名記事が必要な理由としては、「署名
していないと責任が曖昧になってしまう。
自分の名前を書くということは全責任が
かかってくること。そうなると当然誤っ
たことは書けないし、トーンも変わって
くる。週刊誌でもえげつない記事がある
が、そのほとんどが無署名。今後、将来
的には『週刊文春』の記者といえども顔
を出す。それが取材に支障をきたすなら
ば、名前を出すくらいのことはしてもい
いと思う」と中村さん。


久保さんは、取材される側についても
「(芸能人は)イメージが大事な職業を
自分で選んでやっているし、そもそも大
前提として普通に生活していればスキャ
ンダルは出ない。後ろめたいことがある
から取材されるのであり、記者もプロ意
識があり、全て裏取りしてから動いてい
ると思うので、そこは仕方がないことだ
と思う」と指摘します。


◆これからの時代の週刊誌のあるべき姿
    とは?


最後に、今回の議論を踏まえて、週刊誌
報道のあり方、これからの時代の週刊誌
のあるべき姿について提言を出し合いま
す。河崎さんは「週刊誌というのは、最
後のペン剣。忖度が働きづらく、そうし
たこととは違うところでジャーナリズム
を追求していこうとするのが残っている
最後の砦」とし、「そのペン剣というの
は、常に強者に対して向けるもの」と主
張。


石田さんの意見は変わらず、週刊誌報道
に影響する新聞・テレビ・ネットのより
一層の頑張りを求めると、久保さんは週
刊誌に“社会の監視者”であることを望む
と訴えます。「テレビの改革はすぐには
進まないと思うので、そこをカバーでき
るのは週刊誌。政治も悪いことは悪い、
そうした声を上げる場所があることが大
事だと思う」と期待を寄せます。


最後に中村さんは「今は文春が大きく評
価され、社会的な勢いも増しているが、
(彼らが)正義を振りかざしてやってい
るかというとそうではない。決して(何
かを)断罪をするようなメディアではな
い」と語り、「好奇心や人に対する関心
がもとで、ゴシップ・スキャンダルも報
じるし、そのために批判も受けるし、謝
ることもある」と吐露。


その上で、「最終的に週刊誌がなくなる
ならそれでもいい」と“必要かどうかは世
間が決めること”と提言しつつ、「ただ、
(週刊誌がなくなれば)報じられるべき
ことが報じられなくなってしまうんじゃ
ないか、報道の自由に対して制限がかか
ってしまうんじゃないか」と危惧してい
ました。
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まあ、一理あるというか、勝手な事を言
っているというか……。


「週刊文春」は、もろ刃の剣のようなも
のでしょうか?


「毒」にもなれば、「薬」にもなるとい
うか。


実際に、週刊誌の報道で「イジメ」が明
るみに出たということもありますし……。


ただ、"不倫報道"は、当事者間の問題な
ので要らないか、と思うんですが……。