壽々の雑記帳

観劇のコメントや日々の出来事・時事問題などについて綴ります。

星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』のディミトリの元の名は、Ghias ad-din?

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


『斜陽の国のルスダン(仮)』の(仮)
がやっと取れたかと思えば、変なタイト
ルにしたものですから、SNS上でちょっ
とした騒ぎになりました。
それは、ともかく、予習好きな宝塚ファ
ンのことですから、インターネットで、
「ルスダン」と「ディミトリ」を検索さ
れた方は多かったのではないでしょうか?


ところが、ウィキペディアで「ルスダン」
は出てきますが、「ディミトリ」は出て
きません。
それもそのはずで、ディミトリは、元々
の名前ではありません。
ディミトリは、ルーム・セルジューク朝
の王子でイスラム教徒だったのですが、
ジョージア王国に人質として来る時にキ
リスト教に改宗して名前も変えています。


元の名前は、Ghias ad-dinです。(何て
読むんでしょうね)
ただし、❝The original name of Rusuda
n's consort is not recorded in either Geo
rgian or Muslim sources. "Ghias ad-din"
is a laqab reported by the 13th-century
Egyptian scholar ibn 'Abd al-Zahir. ❞と
なっていますので、❝Ghias ad-din❞が
本名というわけでもないようです。
❝laqab❞は、「尊称」という意味です。


なお、ウィキペディアには、英文はあり
ますが、和訳はありません。
したがって、頑張って英文を読むしかあ
りません。
ウィキペディアでは、Ghias ad-dinは、
❝a member of the Seljuq dynasty of Rum
and husband of Queen Rusudan of Geor
gia❞となっているので、これがディミト
リと考えて良さそうです。
しかも、❝Rusudan's husband was nam
ed Dimitri (Demetrius) upon his conversi
on to Christianity in Georgia.❞と書いてあ
ります。
❝ conversion❞には、「改宗」という意味
があります。
したがって、キリスト教国であるジョー
ジア王国に来るときにキリスト教徒に改
宗して名前もディミトリに変えたのだと
いうことになります。


ウィキペディアには、❝Ghias ad-din (fl. 
1206–1226)❞と書いてあります。


❝fl.❞は、
「Floruit(略号: fl.あるいはflor.)は、
「活躍した」という意味のラテン語の動
詞である。ある物(人物、学校、運動、
種)が活動していた期間を示すのに使わ
れる。英語では、ある物が「活躍・繁栄
した」時を示す名詞としても使用される。
概して、この用語はある人物、運動、そ
の他の活動の最盛期を示すのに用いられ
る。より具体的には、ある人物の生年あ
るいは没年が不明であるが、その人物が
生きていた時を示す証拠が存在する場合
に、系図学や歴史文書でしばしば用いら
れる。」
となっています。


つまり、ディミトリについては、1206年
から1226年の間については、生きていた
証拠が残されている、という事になりま
す。


逆に言うと、1226年がディミトリが「曙
光に散った」年であったのかも知れませ
ん。
ディミトリの生年は分かりません。
❝ Around 17 years old at the time of marr
iage, he was younger than Rusudan❞と
書いてありますので、ルスダンよりは若
かったようです。


一方のルスダンの方は、
「ルスダン(Rusudan1194年 - 1245年)」
となっています。
つまり、1245年に51歳で亡くなったこと
になります。
当時の平均年齢がよく分かりませんが、
51歳は若いような気がします。


1236年にジョージア王国は、モンゴル帝
国の侵攻を受け、ルスダンは、トリビア
を捨てて、グルジア西部に逃れるのです
が、抗しきれず、1243年にモンゴルの支
配下に入ることになります。
原作では、その後、ルスダンが亡くなる
所までを描いています。
ですから、原作は、「斜陽の国のルスダ
ン」というタイトルになるわけです。


なお、ディミトリは、❝Ghias ad-din is re
ported by the Georgian annals to have be
en a handsome and physically strong man.❞
と書かれています。
ルスダンも美女だったようですので、美男
美女カップルだったようです。


舞台の方は、ディミトリが「散る」とこ
ろで終わるのか、それとも、ルスダンの
死ぬところまで描くのか、どちらでしょ
うか?