妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

月組公演『グレート・ギャツビー』千秋楽ライブ中継を観ました~!!(感想①)

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


観劇予定が3公演全部消滅した月組宝塚
大劇場公演『グレート・ギャツビー』。
ようやく、千秋楽ライブ中継を映画館で
観ることができました。


3公演全部休演になって暇だったので、
映画版の『華麗なるギャツビー』2本を
観ました。
今回は、その映画版と宝塚の舞台とを比
較しながらの感想になります。


宝塚の舞台の方が全体として、ソフトな
感じになっています。
また、ストーリーも分かりやすいです。


さすがに映画版のままでは、まず、デイ
ジーがダメでしょう。映画版のコメント
に書いたようにデイジーが映画版は観る
者の共感を得られない女性として、描か
れています。
そこを宝塚版は変更しています。


デイジーがギャツビーの黄色い車を運転
してマートルを轢き逃げするところは同
じですが、宝塚版では、動揺するデイジ
ーにギャツビーは自分が運転していたこ
とにするから、誰にも真実を話すな、と
言い聞かせます。
映画版にはこの場面はありません。


また、映画版ではデイジーは、ギャツビ
ーの埋葬に立ち会うこともなく、言伝も
なく、花一つ送ってよこすことなくヨー
ロッパへ旅立ってしまうのですが、宝塚
版では、デイジーは墓地にトムの青い車
でやってきて、白いバラの花を一輪、墓
穴に投げ入れます。
この場面が追加されただけでもデイジー
に対する観客の印象が大分違うでしょう。


その他にも少しずつ映画版との違いがあ
って、宝塚版は観客がデイジーに反感を
抱かないようなストーリーに変えられて
います。


映画版の方が原作に近いのですが、それ
では、デイジーを演じる娘役トップが観
客から反感を買うことになってしまいま
す。
演出の小池修一郎氏は、これを大きく変
えています。


どちらがいいとは言えませんが、宝塚版
としては、これで正しいのだと思います。
少なくとも、観劇した後味としては、宝
塚版の方がずっとましになっています。


そんなデイジーを好演しているのが海乃
美月さん。
いかにも良家のお嬢さんという雰囲気が
出ています。


墓地でギャツビーの墓穴に1本の白いバ
ラの花を投げ捨てるように入れるのは、
傍で夫のトムが見ているからでしょう。
ただ、1本の白いバラの花は、ギャツビ
ーと恋人だった時に、ギャツビーの差し
出す白いバラの花束から1本だけバラの
花を抜き取った時の想い出。
このことで、死んだ後も、デイジーは、
ギャツビーの事を愛していることが分か
ります。
この場面のデイジー役の海乃美月さんの
感情表現が見事です。

さて、主人公のギャツビーを演じるのは、
月城かなとさん。
颯爽とスーツを着こなし、優雅で上品な
振る舞いをする月城かなとさんががとて
も素敵です。
トムよりギャツビーの方がよほど、上流
階級の人間に見えます。
スーツも出てくるたびに違うスーツを着
ているように見えました。
一体、何着のスーツを持っているんだと。

映画版では、ギャツビーはいつもピンク
のスーツを着ているため、トムからオッ
クスフォード出がピンクのスーツなんか
着るはずがないと怪しまれます。
なお、映画版でロバート・レッドフォー
ドが着ているピンクのスーツは、ラルフ
・ローレンの製作です。

さて、ギャツビーは、禁酒法の時代(19
20年~1933年)に密造酒を売ることによ
って、財を築き上げます。
ただし、ドラッグ(麻薬)には絶対手を
出そうとはしません。
そこだけは、一線を画しているのです。
ギャツビーはデイジーと再会するために、
裏社会に入るのですが、その闇の顔が、
時々、表情に出ます。
その時の月城かなとさんの演技が凄みが
あります。

そして、愛するデイジーをその手に取り
戻そうと、ただ、それだけのために必死
の努力をするギャツビーの姿には心打た
れます。
月城かなとさんの演技からギャツビーの
デイジーに対する深い想いが伝わってき
ます。
ただ、5年の年月は残酷な結末を迎える
ことになります。

富裕層のデイジーの夫トム・ブキャナン
を演じるのは鳳月杏さん。
映画版では上流階級であることを鼻にか
け、デイジーと結婚していながら、人妻
のマートルとも浮気をしているクズ男。
宝塚版では、トムもやはり描き方がソフ
トになっていて、あまりひどい反感は覚
えません。クズはクズなんですけどね。

しかし、宝塚版なりのクズっぷりを発揮

していてやはり、鳳月杏さんの演技は上
手いなと改めて思いました。

トムがコーラスガールのヴィッキーの楽
屋を訪ねる場面があります。
映画版にはない場面です。
トムがヴィッキーに高価なプレゼントを
渡したところを写真に撮られて、金品を
全部巻き上げられます。
この場面を入れることによって、トムに
対する観客の反感が多少和らげられてい
るように思います。

ところで、間に挟んで恐縮ですが、宝塚
版では、映画版にないトムとギャツビー
のゴルフコンペの場面が出てきます。
映画版では、ブキャナン邸の暑さから逃
れるため(この物語はひと夏の出来事を
語っています)、ニューヨークのプラザ
・ホテルへ行きます。

それをゴルフコンペに変えたのは、プラ
ザ・ホテルでは絵にならないから?
登場人物に、プロゴルファーのジョーダ
ンがいるので、物語を膨らませたかった
のでしょう。
お陰で語り手であるはずのニックもゴル
フコンペに参加することになり、ジョー
ダンからゴルフのレッスンを受けること
になります。

ただし、結果は同じです。
ゴルフ場で(映画版ではホテル・プラザ
で)ギャツビーの素性について、ギャツ
ビーとトムの諍いになり、デイジーがそ
の場から逃げ出し、その後を追ったギャ
ツビーとデイジーの運転でギャツビーの
黄色い車で暴走し、そして、トムが運転
していると思い込んだマートルがその車
の前に飛び出し。轢かれて死にます。

ところで、映画版2作と宝塚版とでほぼ
同じ物が一つあります。
それは、灰の谷にある眼科医の看板です。
原作では、こう書かれています。
「けれども、この灰色の地、荒寥たる灰
燼が息巻いては絶えず地を撫でていると
ころから目を上げると、しばしの間を置
いてT. J. エクルバーグ博士の両眼が顕れ
る。T. J. エクルバーグ博士の両眼は青く
巨大で、網膜が一ヤードの高さにある。
顔はない。その代わりに巨きな黄色い眼
鏡が、そこにあるはずの鼻に掛かり、中
から両眼が見据えている。」
T. J. エクルバーグ博士は、実在の人物で
はないと思うのですが、原作にかなり詳
細に描写されているために、同じような
看板になったのでしょう。何かモデルが
あるのかもしれません。
この看板が、後にウィルソンによって、
「神の眼」と呼ばれます。


長くなりましたので、②に続きます。