妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

ギャツビーはストーカーか?月組公演『グレート・ギャツビー』

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


月組公演『グレート・ギャツビー』に関
する他の方の感想記事を読んでいたとこ
ろ、「ギャツビー ストーカー」という
ような記事を2件見掛けて?と思ったので、
インターネットで「ギャツビー ストー
カー」で検索して、思わずのけぞりまし
た。一杯記事が出てきます。


中でも、極めつけはコレ(↓)
大学のアメリカ文学の先生のブログのよ
うです。
記事のタイトルが「ギャツビーはストー
カーか?」です。
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(略)
実は、数年前、別の大学で「ギャツビー」
を数回にわたって、原作を翻訳できちん
と読みながら映画を参照、というのをや
ったのですが、どうも受けが悪かった。
毎回小レポートを書いてもらっていたの
だけど、女子が多いせいか、なんだかピ
ンと来ないらしいのです。
特に、「ギャツビーは一歩間違えればス
トーカー」という意見がいくつかあった
のには驚きました。
うーん、確かに。
まあ、彼は遠くからデイジーを眺めてい
るだけで、デイジーがパーティに来るこ
とを望んでいるのですが、デイジーは来
てくれない。そこでデイジーの親戚のニ
ックを利用してデイジーと再会するので
すが、ギャツビーはデイジーに対してま
ったくごり押しはしてない。再会したデ
イジーがギャツビーに(あるいは金持ち
になったギャツビーに)惚れ直し、とい
う感じなので、ギャツビーはまったくス
トーカーではないのですが、ストーカー
に変えてサスペンス映画にすることも可
能か?(おいおい)
とにかく、大学生女子にはギャツビーの
心情が理解できないようで、1人の女性
を愛し続けるということ自体がストーカ
ーと紙一重なのか?
学生の感想の中には、「こういうのは男
のロマンにすぎない」と切り捨てたのも
いて、うーん、確かにそうかも。
一応、原作の翻訳を教科書として全員に
買わせ、ニックの語りの重要なところと
かきちんと読んで、この結果ですので、
私が悪かったとも思えないのですが。
男子学生の反応もあまりよくなく、今の
若い人には受けないのかもしれない、と
思ったので、それからギャツビーを授業
で取り上げなくなってしまったのです。
(略)
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この記事の日付が2013年6月で、ディカ
プリオ版の『グレート・ギャツビー』を
上映していた頃のようです。
日本でストーカー規制法が制定されたの
が2000年ですから、「ストーカー」とい
う概念はもう社会に定着していた頃でし
ょう。


ただ、フィッツジェラルドが『グレート
・ギャツビー』を執筆した1920年代には、
そんな概念はなかったでしょうから、フ
ィッツジェラルド、驚きの反応ではない
でしょうか?
原作でも、デイジーがギャツビーのこと
を「ストーカー」だと思っている、とい
うような様子はありません。


上の記事の先生も書いているように、ギ
ャツビーの行動が「ストーカー」か、と
言われると、必ずしもそうではないとは
思います。「ストーカー」の概念を広く
捉えすぎのように思います。


ですが、時代と感覚が変わったというこ
とでしょう。


女性に対してはもちろん、男性に対して
も、あまり、しつこくつきまとうのは、
嫌がられますよ、ということでしょうね。