妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

花組公演『フィレンツェに燃える』は、ドストエフスキーの「白痴」がモチーフだった!?

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


ちょっと驚きました。
まさか、『フィレンツェに燃える』とドス
トエフスキーの「白痴」とが関連があると
は……。


47年前の初演の『フィレンツェに燃える』
についてのレビュー記事に、その話が載っ
ています。
その部分だけ抜き書きします。
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と言うのも、これは劇作家・柴田が長年追
い続けたテーマだからです。『フィレンツ
ェに燃える』の作者言にも書かれています
が、柴田は長くドストエフスキーの「白痴」
を舞台化してみたいという希望を抱いてい
て、
それ自体は宝塚歌劇の世界に親和しな
いだろうと断念したものの、「愛の二面性
─純粋な神への志向と悪魔的な欲望の相克─
を追求したテーマにどうしても執着が残り、
世界と人物設定を変えて、このテーマのも
とに描いてみることにした」
と、この作品
を書き下ろした動機を説明しています。
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公演プログラムに載っていた「愛の二面性」
という言葉がどうしても分からなかったの
ですが、これで少しは分かるような気が……。


ドストエフスキーの「白痴」のあらすじは
こんな内容です。(少し長いです)
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若い公爵レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュ
キンは、幼時から重度のてんかん症状によ
り、スイスのサナトリウムで療養していた
が、成人して軽快し、援助してもらってい
たパヴリーシチェフの死去もあって、ロシ
アへ戻ることになった。ペテルブルクへ向
かう列車中で、ムイシュキンは、父の死去
によって莫大な財産を得たばかりだと言う
パルヒョン・ロゴージンと知り合いになり、
彼が熱を上げていたナスターシャ・フィリ
ポヴナの名を耳にする。
ムイシュキンの両親は、既にこの世になく、
彼が公爵家の最後の跡取りであったため、
遠縁にあたるエパンチン将軍夫人を頼ろう
と、エパンチン家の邸宅を訪れる。ムイシ
ュキンは、将軍夫妻とその三姉妹に知り合
い、いくつかの印象的なアネクドートを披
露するうちに一家の好意を得た。ここで彼
は、将軍の秘書ガウリーラ・アルダリオノ
ヴィチ(ガーニャ)が金のために愛のない
ままナスターシャと結婚しようとしている
ことを知った。彼女は、まだ幼いころから
ある資産家の情婦となっており、悪評が付
きまわっていたが、実は誇り高い女であっ
た。
ムイシュキンも、彼女と会って自分と共通
する部分を感じ、ついに自らも求婚する。
ところが、彼女は、最初にムイシュキンの
善良さに気づきながらも、ロゴージンの元
に走る。こうして、2人はライバルとなり、
ロゴージンはムイシュキンを殺そうと企て
るが、すんでのところでムイシュキンが発
作を起こして、人に気付かれたために失敗
する。
そのうち、将軍の娘アグラーヤも、ムイシ
ュキンに思いを寄せる。ロゴージンを選び
ながらも、陰ながらムイシュキンを愛して
いたナスターシャは、ムイシュキンに幸せ
になって欲しいと思い、アグラーヤに手紙
で結婚を勧める。そのうち、アグラーヤと
ムイシュキンは相思相愛になる。
しかし、アグラーヤは、例の手紙のことか
ら、ナスターシャがまだムイシュキンを好
きで、ムイシュキンもナスターシャを忘れ
ていないのではないかと嫉妬する。そのう
ち、遠くへ行っていたナスターシャとロゴ
ージンが戻ってくる。アグラーヤは、ナス
ターシャとムイシュキンの関係をはっきり
させようと赴くものの、かえってナスター
シャとムイシュキンを結びつけることにな
る。
ムイシュキンとナスターシャは、結婚する
ことになる。しかし、ムイシュキンとの結
婚当日になって、彼女はまたロゴージンと
逃げ出す。ムイシュキンが駆け付けたとき、
彼女は、既にロゴージンに殺されていた。
ムイシュキンとロゴージンは、かつて同じ
相手を愛した者として、ナスターシャの死
体の前で生活することを決める。ところが、
庭師に家に入るところを目撃されており、
その生活は一夜で終わる。発見された時、
ムイシュキンは、元の白痴に戻っており、
療養の日々を送ることになる。裁判の結果、
ロゴージンは、シベリア徒刑となった。ア
グラーヤが自棄になって望まぬ結婚を急ぐ
ところで、物語は終わる。
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ムイシュキンをアントニオに、ロゴージン
をレオナルドに、ナスターシャをパメラに、
アグラーヤをアンジェラに置き換えると、
両方の作品は似通っているところがありま
す。


「ドストエフスキーは、白痴であるムイシ
ュキン公爵を、誰からも好かれる文句なし
の善人として描いた。ドストエフスキーは、
文句なしの善人である主人公ムイシュキン
公爵を造型することにより、そんな人物が
当時のロシア社会に現れたとしたら、いか
に周囲に波乱を巻き起こすかを描こうとし
たという。」ということのようです。


なるほど、アントニオはまさしく「誰から
も好かれる文句なしの善人」です。その
「善人」であるがゆえに、周囲に混乱を招
いたということになります。


それにしても、ドストエフスキーとはね。
道理で分かりにくい訳だ。