妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

なぜ「魔女」が登場するのか?雪組公演『ライラックの夢路』。

今晩は、壽々(じゅじゅ)です。


雪組公演『ライラックの夢路』が「お話
が難しい」というのは、よく分かりまし
たが(↓の記事参照)、私にもよく分から
ないのは、鉄道建設でドイツの統一と近
代化を目指す『ライラックの夢路』に、
何で、前近代的な「魔女」が登場するの
か、ということです。


なんか、「魔女(夢人)」が出て来る度
に、物語の流れがストップするように思
えますし、そもそも、「魔女」が何を言
いたいのかが、よく分からない。


正直、あの度々登場する「魔女」の場面
は、要らないんじゃないか、と思ってい
て、娘役の登場場面が少ないというのな
ら、他の役を用意すればいい話ですしね。


それでは、なぜ、「魔女」が登場するの
かを考えてみたいと思います。


まず、この作品は、ハインドリヒがゲー
テの作品「ファウスト」の一場面の夢を
見ている所から始まります。


なぜ、ゲーテか、というのは、この作品
のモチーフとなった鴋澤歩氏の著作「鉄
道のドイツ史」を読むと分かります。


その第1章に「やはり、ゲーテからはじ
めよう。」「……気を許す友人に宛てた
手紙の一節に「富と速度は、世界が熱中
し、諸人がそのために血眼になっている
ものだ」と記した。そして、「鉄道(E
isenbahnen)、速達郵便、汽船」に言及
している。」「ゲーテは小領邦ヴァイマ
ル公国の行政官として道路建設や河岸整
備に業績をあげ、また当代一流の科学者
とも自認していた。新しい交通技術が形
成される動向に関心をもち、今日的な意
味で純然たる「鉄道」を思い浮かべてい
たとも考えられるだろう。」と書かれて
います。


この「鉄道のドイツ史」をモチーフとし
たのであれば、作品の中にゲーテの代表
作である「ファウスト」が出て来るとい
うのは、まあ、なんとなく分かります。


そして、夢から覚めたハインドリヒが
「ファウスト」の一場面を夢に見たとい
うのは、新聞でゲーテの訃報を知ったか
らだと、言います。


ゲーテが死んだのは、1832年3月22日で
す。したがって、この作品は、この直後
から始まっているということが分かりま
す。


ところが、「ファウスト」は2部構成で
すが、「ファウスト」の第二部はゲーテ
の死の翌年1833年に発表されています。


したがって、ハインドリヒが読んだのは、
「ファウスト」の第一部ということにな
ります。


「ファウスト」の第一部で、ハインドリ
ヒが夢で見たような場面と言えば、第一
部の終わりの方の「ワルプルギスの夜」
でしょう。


「ワルプルギスの夜」とは、「ドイツの
伝承では、ヴァルプルギスの夜は五月祭
前夜の4月30日の夜で、魔女たちがブロ
ッケン山で集い、彼らの神々とお祭り騒
ぎをする」とされています。(ウィキペ
ディアより)


で、この作品の冒頭がゲーテの「ファウ
スト」の魔女が登場する場面で始まるの
は、ドイツの鉄道→ゲーテ→「ファウス
ト」→「魔女」ということで、一応、納
得できます。


ところが、その後も、この魔女(夢人)
たちがちょくちょく登場する意味は、解
決されていません。


もう一度、作品に戻ると、


ドロイゼン家の5人兄弟の父親が小作人
の娘との間に子供を作り、その娘が魔女
だということで、追放されたという噂が
流れます。


その真相を突き止めに行った三男のゲオ
ルグは、その娘アーシャは、村人たちか
ら魔女だと迫害を受け、家に火をつけら
れ、子供を救いに行ったアーシャは焼死
し、子供だけが助かったことを知ります。


魔女たちは、「私たちの正体を明かしま
しょう」と言って、「魔女にさせられて
しまった女たち」だと言います。(すみ
ません。こんな意味のことを言ったとい
うニュアンスです。)


もちろん、「魔女」なんてものは、存在
するはずもなく、「魔女狩り」で迫害さ
れ、拷問されて、命を奪われた多くの女
性たちは、何の罪もない人々でした。


急速に近代化するドイツにあって、その
近代化から取り残された者たちもいたは
ずで、それを象徴するのが前近代的な存
在である「魔女」ではなかったのか、と
思われます。


「光があるところに闇がある」(だった
と思いますが)というセリフは、そんな
ことを意味しているのではないかと。


それでも、やはり、魔女(夢人)たちが
ちょくちょく登場する意味は、解決され
ていません。


また、魔女たちの抽象的なセリフや歌詞
も、ほぼ、理解不能です。


もう、演出家の趣味だとしか考えられま
せん。


演出家という人種は、ゲーテとかシェイ
クスピアとかの文学作品を自分の作品の
中に取り入れようとする傾向があるよう
に思われるのですが、観客の方は???
ですよね。


やっぱり、「お話が難しすぎて」ですね。