妻が宝塚ファンで……。

ミュージカル観劇や日々の時事問題などについて綴ります。

リストの魂の行き着いた先、花組公演『巡礼の年』③

今日は、壽々(じゅじゅ)です。


昨日は、猛暑の中、宝塚大劇場まで花組
公演3回目の観劇に行ってきました。


で、②の続きです。
①で書いた「2回観たのによく分からな
い」というのは、この部分です。
他の方の記事を見ても、この部分に触れ
た記事は、ほとんど見掛けません。
プロの方の書いた記事は有料という壁が
立ちはだかります。
しかも、昨日、3回目を観てもまだよく
分かりません。


したがって、ちょっと、記憶が曖昧なと
ころもあるのですが、大体、こんなニュ
アンスでしたという事で書きます。


リストは、各国での演奏会の成功によっ
て、ハンガリーから爵位を授けられ、各
国からも称号や勲章を得てサッシュをい
くつも肩から斜めに掛けています。王侯
・貴族と肩を並べるようになったと誇ら
しく言うリストですが、パリから始まっ
た共和主義運動がヨーロッパ各国に広が
り、「諸国民の春」と呼ばれる革命によ
って、その地位も名誉も足元から崩れて
いきます。


そんな中で、リストは現実ではない世界
でマリーと再会します。
リストは、マリーが自分に会いに来てく
れたのか、と言うのですが、マリーは、
私達がめぐり会うために用意された場所
だと言います。
そこから先のリストとマリーのやり取り
がよく分からないのですが、2日目観劇
した時には、マリーが「私達共和主義運
動家がこの革命を起こした」というよう
に聞こえたのですが、今回は、「あなた
(リスト)が起こしたの」と言っていま
した。どうもリストを苦しめてきた人と
人の間の壁を壊したいという欲求が、そ
の壁を壊すこと(貴族による支配を革命
によってなくすこと)に繋がったのだと
言いたいように聞こえました。
そして、マリーは、リストが自分の所へ
戻ることを望むのですが、リストは、
まだ帰ることはできないと返事します。


その後リストは、今度は、ジョルジュ・
サンドとショパンに出会います。
ジョルジュ・サンドは、リストにここは
あなたの物語、と告げます。
ショパンは、リストに立派になったじゃ
ないかというのですが、リストは、もう、
こんなものには価値はない、と勲章を外
します。
ショパンは、俺はもすぐ死ぬとリストに
告げます。なぜ、私でなくて君なんだ、
と問うリストに、君は生きて生きて生き
抜いて欲しい、今のお前には時間がある、
というショパン。そして、「なぜ、認め
ない。お前が認めていないのは、おまえ
自身だという事を」とショパンは言い、
「もう一度訊かせてくれ。何のために音
楽をやるのかということを」とリストに
問いかけます。


ショパンの命の長くないことを知りなが
らも、ショパンを愛し続けたジョルジュ
・サンド。
ジョルジュ・サンドに見守られながら、
ショパンは、その短い生涯を終えるので
した。
ジョルジュ・サンドは、最後に「サヨナ
ラ、私の王子様」と言います。
そして、流れるショパンの「ノクターン」
が印象的な場面です。


そして、何年かが過ぎ、マリーはリスト
のいる修道院を訪れます。リストは、修
道院で多くの子供たちにピアノを教えて
いるのでした。
これが、ショパンの問いかけに対するリ
ストが見出した答えだったのでしょう。
後の世代に音楽を伝えること。
生徒の一人がピアノに向かってマリーに
曲を聴かせます。子供たちに囲まれてや
ってきたリストは、その生徒に「その曲
はまだ教えていない」と言います。
おそらく、リストがスイスのジュネ―ヴ
でマリーと一緒に過ごした時に作曲した
曲だったのでしょう。
その後、マリーとリストはベンチに並ん
で座って、過去の想い出を語ります。
マリーが「言葉が見つからない」と言う
とリストも「私もです」と言います。
マリーは、「あまりにも多くの絶望があ
ったから」と語ります。
そして、リストとスイスのジュネーヴで
過ごした日の事を「私の中では生き続け
ている。どうしてあんなに無邪気でいら
れたのかしら」と語ります。
リストはマリーに「君が俺を救ってくれ
た」と言い、マリーはリストに「あなた
も私を救ってくれた」と言います。
リストは「それなのに私は君の手を離し
てしまった」と後悔します。
そして、リストは最後に「まだ、遅くな
い。私たちの魂はまた巡り続けるのだか
ら」と。
一度心が離れ離れになった二人は、また、
同じ道を歩もうとしているのでしょう。
リストとマリーが寄り添った場面で、静
かに幕が下ります。



【追記】
以前の記事で、ショパンが死ぬときに流
れる曲を「別れの曲」と書きましたが、
「ノクターン」でした。訂正します。



①と②の記事です。